対外債務と地域統合


 1980
年代、軍政諸国が次々と民政移管した。一方で「債務危機」に陥った。一人当たりの経済成長が全体としてマイナス、という「失われた10年」を招来している。それまでの軍政から来るラ米の暗いイメージは、債務危機によって続いた。その反省から、ラ米諸国の多くが、国家が経済運営に参加する体制から、企業活動の規制を最大限撤廃する、いわゆる「新自由主義」経済体制への移行を試みた。即ち規制緩和と民営化政策が一般化した。また、地域経済統合への動きが加速した。 

(1)軍政時代の終焉と債務危機 

ラ米の軍政は19798月のエクアドルを皮切りに、903月のチリを最後に、終焉を迎えた。一方では、ニカラグアの反革命ゲリラ、エルサルバドルとグァテマラの左翼ゲリラによる夫々の内戦とホンジュラス及びコスタリカを巻き込んだ「中米危機」を見た
(別掲軍政時代とゲリラ戦争参照)。
 1970年代
に大きく膨らんだ対外債務は、日欧米債権国に対する返済猶予(リスケ)要請、若しくは一方的返済引き延ばし(モラトリアム)をもたらした。勿論、身の丈以上の借入もあるが、79年の第二次オイルショックの後、先進各国で採られた緊縮財政による大幅な金利上昇も背景にある。多くのラ米諸国に対する融資は停止された。先進国企業の追加投資、或いは新規投資も止まった。引き揚げるところも出てきた。多くの国が三桁、四桁のハイパーインフレに取り組むようになる。この時期、世界的にはソ連東欧圏が崩壊している。80年代の重要な動きを下記する。

  1. 19804月、在キューバのペルー大使館に亡命希望者が殺到、キューバ政府が国民の出国の自由を認めたことから、この年、最終的に12.5万人の大量出国者が出た(出港地名をとり「マリエル事件」と呼ぶ。ただ不満分子の排除にも繋がり平穏は保たれた。
  2. 19805月、エルサルバドルの統一左翼ゲリラ、ファラブンド・マルティ民族解放戦線(FMLNが、また822月、グァテマラでもグァテマラ国民革命連合(URNGが結成され内戦が本格化した。ニカラグアでも81年にはホンジュラスとコスタリカを拠点に反革命武装組織(コントラ)が活動を開始、内戦へと発展する(「中米危機」)。
  3. 19805月、ペルーの民政移管と共に、左翼ゲリラの「センデロ・ルミノソ」が活動を本格化させた。84年には「トゥパクアマルー革命運動MRTAも活動を開始する。
  4. 1980年、コロンビアの麻薬組織、メディジン・カルテルが結成された。左翼ゲリラELNFARCなどに悩まされていたが、これ以降、同国はゲリラと麻薬の国、とのイメージが定着した。ただ対外債務については「中南米の優等生」として知られる。
  5. 19824月、アルゼンチン1830年来領有権を主張してきたマルビナス諸島を襲撃、対英戦争に及んだ(マルビナス戦争。別掲「ラ米の軍部と戦争」の二十世紀の国家間戦争参照)。同年6月、敗戦が確定する。軍政が崩壊したのはその1年半後のことだ。
  6. 1982年8月、メキシコが先進国民間銀行に対して返済猶予を要請、これが文民、軍政を問わずラ米各国に波及し、債務危機を招来する。
  7. 1989年12月、パナマ駐留軍を含む米軍2万人がパナマ侵攻、トリホス後の最高権力者、ノリエガ将軍が90年1月の米軍の首都攻撃を経て逮捕され失脚する。1978年、間接選挙ながら文民大統領が選任され一応の民政化が実現していたが、本格的な民政移管に至ったのは、彼の失脚後のことといえる。

1989年、ラ米対外債務危機解決策として当時のブレイディ米国財務長官が、いわゆる「ブレイディ・プラン」を打ち出した。債権銀行による債権償却、長期債への債権組換え、若しくは低金利によるニューマネー供与の3選択肢を呼びかけるものだ。この適用第一号が90年のメキシコであり、コスタリカが続き、95年のペルー適用でラ米の債務問題がほぼ決着を見た。だが、この適用にも拘らず、ラ米全体の対外債務額はその後も膨らんでいく。ニカラグア、ホンジュラス及びボリビアが「重債務貧困国」に指定され、大半を返済免除されるが、三ヵ国の債務絶対額はラ米全体からみれば小さい。 

(2)地域統合の時代 

解放者ボリーバルの見果てぬ夢が、イベロアメリカ(旧スペイン・ポルトガル)の統合である。地域統合の形で、且つ恒久的に具現化されるには、それから150年を要した
196112月、中米共同市場(CACM695アンデス共同体(CAN発足)。
 だが、この二つを含め効力を持つ地域統合が出現するのは、
90年代のことだ(別掲ラ米の地域統合参照)。この90年代のラ米の主要な動きを下記する。

  • 中米:19903月、ニカラグアで、922月、エルサルバドルで内戦が終結、後者ではFMLNが武装解除の上政党化し、以後議会の第一、二位の勢力になる。いずれも今日の政権党だ。933月、内戦中のグァテマラと、CACM非加盟国のパナマを含む「中米統合機構(SICA)が発足し、政治統合も進む。9612月、グァテマラ内戦も終結、政党化したが、小党にとどまっている。
  • チリ:19903月、民政移管後の初代、「諸党連合(Concertación)」政権には社会党を含むが、ピノチェトの市場主義経済政策を踏襲する。
  • ペルー19907月に成立したフジモリ政権も市場主義政策で経済混乱を収めた。また左翼ゲリラ勢力への弾圧を強めることで治安を回復させたが、議会解散と憲法停止(いわゆるアウトゴルペ)で強権化、政権を10年間も担うことになる。
  • キューバ:199210月、米国がキューバ民主化法(米国企業の在外子会社による対キューバ取引、及びキューバに寄港する船舶の米国寄港を禁止する、いわゆる「トリチェリ法」)が成立、ただでさえソ連・東欧圏崩壊により、著しい経済苦境に陥ったところに拍車をかけ、経済苦境の進行で再び大量出国者を出すようになる。経済の一部自由化、外資導入、観光振興などで苦境脱却を図ったが、963月、米国は、いわゆる「ヘルムズ・バートン法」(第三国企業が革命後接収された米国資産に関係する取引を行った場合は、制裁)制定で応じた。外資の対キューバ投資へのブレーキとなり挫折する。
  • メキシコ19941月、北米自由貿易協定(NAFTAが発足した。一方ではメキシコ通貨危機(いわゆるテキーラショック)が起きる(95年2月、米国主導で行われた多国間支援によって解決)。NAFTAと政権党PRI独裁に反対し、農民生活権を訴えるサパティスタ民族解放軍(EZLNが武装蜂起、同3月の次期大統領候補暗殺などの政治、社会不安への嫌気、通貨ペソの大幅切り下げが不可避の思惑から、巨額資金が国外に逃避したことが背景にある。
  • メルコスル諸国:19951月、南部南米共同市場(メルコスル)がスタート。   アルゼンチン91年に事実上の通貨の対㌦等価政策(カヴァロ・プラン)、ブラジル93年に対㌦ペック制(レアル・プラン)で、軍政末期より続いてきたハイパーインフレを収束させ、共同市場創設の基本条件が整っていた。       19988月にはブラジルを通貨危機が襲う。97年のアジア通貨危機、98年のロシア通貨危機が伝播したもので、ブラジル対外資金収縮をもたらすほど巨額の短期投資資金の対外引揚げを呼んだ。これにはレアル・プラン放棄(変動相場制へ移行)で対応、一時的通貨下落を招いたものの収束は速かった。アルゼンチン通貨が一気に過大評価となり、資金収縮が飛び火した。カヴァロ・プランの放棄は2002年のことで、ブラジルに3年も遅れた。
  • ベネズエラ199812月、チャベス元空軍大佐が大統領選を制した。92年にクーデター未遂事件を起こした人で、カストロを師と仰ぐ彼の政治志向が、経済苦境からの立ち直りに躍起だったキューバに大きな救いをもたらす。その後ラ米では左派乃至は中道左派政権が陸続と発足するようになる。
 二十一世紀になってからのラ米の動きの一端は、別掲のラ米の政権地図を参照願いたい。ここでは地域統合の深化がCACM五ヵ国にパナマとベリーズが加わった中米・カリブ7ヵ国の「中米統合機構(SICA)」、ガイアナとスリナムを含む南米12ヵ国の「南米諸国連合(UNASUR)」、及び左派政権下のスペイン語圏5ヵ国と数ヵ国のカリブ小島嶼国の「米州ボリーバル同盟(ALBA)」の誕生で、進んだことのみを述べておきたい。


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