1950年代に入ると、ラ米諸国は次々と米国と相互防衛条約を締結、軍事に関しては米州一体化が進んでいくようになる。一方で、革命やクーデターが頻発した。本項ではクーデターで政権に就いた軍人名を紫字で表示する。
(1)ボリビア革命からキューバ革命まで
1952年4月、ボリビアで社会革命が成立した。その段階で、ラ米十九ヵ国中、軍政下にある、乃至は軍人が政権を担っていたのは下記6ヵ国だった。
- エルサルバドル(オソリオ*1)
- ニカラグア(ソモサ*2)
- ドミニカ共和国(トルヒーヨ*3)
- ベネズエラ(ペレス・ヒメネス*4)
- ペルー(オドリーア*5)
- キューバ(バティスタ*6。但し同年2月にクーデターで再登場)
以後1955年までの間に、下記4ヵ国でクーデターが起きている。
- 1953年、コロンビア(ロハス・ピニリャ*7)。この国の軍事クーデターは、十九世紀央より絶えてなかった。
- 1954年、グァテマラ。アルベンス(*8)大統領を反乱軍が追放。建国以来の大半が独裁政治だったこの国で初めて訪れた民主政治が潰えた。
- 同1954年、パラグアイ(ストロエスネル*9)
- 1955年、アルゼンチン。軍部がペロン(下記ベタンクール、ベラスコ・イバラ共々ラ米のポピュリスト参照)大統領を追放
以上10ヵ国の内、下記4ヵ国は全て、1958年までに民政に復帰した。
- 1956年7月、ペルー。第二次プラド政権発足
- 1958年1月、ベネズエラ。民主化運動の高揚でペレス・ヒメネス退陣。なお、ベタンクールが民選大統領に就任し民主主義体制が確立するのは翌59年2月
- 同2月、アルゼンチン。1930年、43年同様、短期軍政に留まった。
- 同8月、コロンビア。リェラス・カマルゴ(*10)政権発足。彼が主導した「国民戦線」(74年まで自由党と保守党が4年ごとに政権交代を行う、とする合意)の時代に入った。
1956年9月、ニカラグアではソモサが暗殺されて退場したが、政権は彼の長男に移り、ソモサ家支配は続く。
キューバ革命が勃発し成立するまでのラ米状況は以上の通りで、革命成立の59年1月、同国を除きボリビアを含むラ米18ヵ国の内、軍政下乃至は軍人政権下の国は5ヵ国だった(以上、ボリビアとキューバの革命については、別掲ラ米の革命参照)。つまり、残る13ヵ国は民主体制にあった。
(2)「進歩のための同盟」の60年代
当初キューバの革命を支持していた米国が、革命政府による米企業農地接収を伴う農地改革が発端となって、キューバとの間で制裁、報復の応酬が繰り返し、61年1月、国交を断絶した。革命の伝播を懸念する米国で、1961年3月、ケネディ政権が「進歩のための同盟」政策を打ち出す。ラ米の貧困解消に社会構造の改革が必要、と判断し、社会資本整備と土地の再分配のために活かすべく200億ドルの資金援助を行うことが骨格となっていた。米州諸国が豊かで、民主化が進めば第二、第三のキューバが阻止できる、と考えたものだ。同年翌4月に起きた「ピッグズ湾事件」は、キューバに強力なカストロの実権確立と彼の社会主義宣言をもたらす。同年翌5月、ドミニカ共和国のトルヒーヨが暗殺されたが、両事件とは特段の関係は無い。
1962年1月のOASのキューバ除名、同年10月の「キューバ危機(ミサイル危機)」を経て、64年までにメキシコを除くラ米諸国はキューバとの国交を断絶した。1963、64年に下記4ヵ国が軍政に入る。
- 1963年7月、エクアドル(~66年3月。第一次)。ベラスコ・イバラの追放
- 同10月、ホンジュラス(~82年1月)
- 1964年4月、ブラジル(~85年3月)。「ブラジルの奇跡」と呼ぶ経済成長
- 同11月、ボリビア(~82年8月)。67年10月のチェ・ゲバラ(別掲キューバ革命参照)処刑で知られる。
ドミニカ共和国ではキューバ危機の2ヵ月後の1962年12月、民主選挙が行われボッシュ(*11)が当選したが、就任後の彼の急進的政策に危惧を抱く軍部により、翌63年9月には追放され、これが65年のドミニカ内戦(別掲の「ラ米の軍部と戦争」のラ米の内戦参照)へと発展する。一方で60年代にはさらに下記3ヵ国も軍政に入った。
- 1966年6月、アルゼンチン(~73年5月。第一次)
- 1968年10月、ペルー(~80年7月)。ベラスコ(*12)軍政。外資企業の接収、基幹産業の国営化、徹底した農地再分配など民族主義左派傾向
- 同、パナマ(~90年1月。事実上)。トリホス(*13)軍政(~81年。航空機事故死)は民族主義傾向
1963年11月に暗殺されたケネディの「進歩のための同盟」に寄せる思いとは別に、59年1月段階では曲がりなりにも民主体制にあった13ヵ国は、60年代だけで7ヵ国がクーデターで軍政化し、この内エクアドルだけが一旦民政復帰したものの、キューバ革命十周年の段階で7ヵ国に減っていた(別掲「軍政とゲリラ戦争」の軍政時代参照)。キューバ革命はラ米各国で、特に労働者層やインテリ層には、キューバ革命がラ米ナショナリズムの発露、と映り共感を呼び込んでいた。ラ米各地で反政府ゲリラが相次いで誕生
(同、ゲリラ戦争参照)、この制圧を委ねられる軍部が政権を取り強権を発動できる体制がこの時期にラ米で広がったのは、自然な流れだったし、逆に国によっては軍部自体にナショナリズムが高揚するところも出た。ラ米軍政化は、キューバ革命のインパクトの凄まじさを物語る。
ペルーとパナマが軍政入りした1968年から69年にかけ、日欧米では激しい反政府運動に見舞われていた。メキシコ五輪開催直前の同国でもトラテロルコ事件(反政府集会で治安当局が発砲、犠牲者数百人を出す)、またアルゼンチン、ブラジルなどでも学生、労働者の大規模な反政府運動が起きている。
(3)東西緊張緩和が進む70年代
1970年代、ニクソン米大統領の訪ソ、訪中を契機に、東西冷戦による緊張が緩和され始めた。ところがラ米では軍政時代が深化している。
- 1972年2月、エクアドル再軍政化(~79年8月)。復権していたベラスコ・イバラの強権化を危惧したもの。当時のペルー、パナマ同様、民族主義軍政
- 1973年6月、ウルグアイ(~85年3月)。左翼ゲリラのトゥパマロスとのゲリラ戦争を理由とする。当時社共両党を中心とした合法政治組織「拡大戦線」が伸張
- 1973年9月、チリ(~90年3月)。ピノチェト(*14)軍政。1970年11月発足の「人民連合」アジェンデ(*15)政権転覆。この軍政はシカゴ・ボーイズと呼ばれる市場主義経済を信奉する経済官僚登用で知られる。
- 1976年3月、アルゼンチン再軍政化(~83年12月)。1973年5月、一旦民政移管が実現、同年10月のペロンの復権、及び翌74年7月の死去、副大統領の妻が昇格、という経緯有り。のを経る。て、
アルゼンチン第二次軍政及びチリ軍政は人権抑圧で国際的に悪名高い(犠牲者は夫々3万人、3千人を超える、と言われる)。ラ米では最も民主主義体制が根付いていたチリとウルグアイまでが軍政に入った点にも注目したい。この中で下記動きがあった。
- キューバ:1974年7月、OASがキューバ制裁を解除した。この時点で軍政下のペルーと一時的民政下のアルゼンチンが国交を回復していた(チリも70年に復交していたがピノチェト軍政が再断交。アルゼンチンは再軍政化の後も国交継続)。70年代、他に6ヵ国がこれに続いた。キューバは国内制度をソ連型に転換し、一方でアンゴラ、エチオピア派兵に踏み切る政治路線と採ったが、東西緊張緩和が幸いした。カーター政権(1977-81)時代の米国とは代表部相互設置(77年9月。断交状態は継続)など一定の関係改善を見る。
- パナマ:1977年9月、トリホス軍政がカーター米政権と「新パナマ運河条約」 (1999年大晦日正午をもって米国からパナマへの運河完全返還)を締結
- ニカラグア:1979年7月、ニカラグア革命(別掲ラ米の革命参照)が成立、あくまでソモサ家独裁政治終結を意図したもの。革命政府は、首班こそ思想的には左翼であるFSLN指導者でも、右派を含む国民統一政権の色合いが強く、米国も歓迎した。
1979年8月、エクアドルが民政移管した。キューバ革命から20年が過ぎ、ニカラグア革命が成立したこの時点で、両国を除くラ米17ヵ国中、文民政権は僅か6ヵ国だ。東西緊張緩和のインパクトがラ米に及ぶ速度は、遅々としていた。
1970年代、世界的には二度のオイルショック(73年及び79年)が起きている。いわゆるオイルマネーが経済発展の潜在性の高い途上国に回り始めた。ラ米は格好の資金供与先だった。70年代後半に石油輸出国となったメキシコのみならず、また民政、軍政の違いをも超え、ラ米諸国は、先進国の民間銀行から巨額資金の借入を本格化させる。
人名表
(*1)オソリオ(Oscar Osorio、1910-69)、エルサルバドル。1948年12月、クーデ
ターで政権掌握。大統領(1950-56)。ポピュリズム政策
(*8)アルベンス(Jacobo Arbens Guzman、1913-71)グァテマラ。1944年の「グァ
テマラ革命」を主導、軍人ながら民主化に貢献。民選大統領(1951-54)
(*10)リェラス・カマルゴ(Alberto Lleras Camargo、1906-90)、コロンビア。大統
領(1945-46、臨時、及び58-62、民選)。OAS創設にも貢献、初代OAS事務総
長(48-54)
(*11)ボッシュ(Juan Emilio Bosch y Gavino、1909-2001)、ドミニカ共和国。反ト
ルヒーヨ運動指導者で、トルヒーヨ後にも政界に強い影響力
下記については別掲軍政時代とゲリラ戦争参照
(*3)トルヒーヨ(Rafael Leonidas
Trujillo Molina 、1891-1961。ドミニカ共和国)
(*4) ペレス・ヒメネス(Marcos Perez Jimenez、1914-2001。ベネズエラ)
(*5)オドリーア(Manuel Odria
Amoretti、1897-1974。ペルー)
(*7)ロハス・ピニリャ(Gustavo Rojas
Pinilla、1900-75。コロンビア)
(*9)ストロエスネル(Alfredo Stroessner、1912-2006。パラグアイ)
(*13)トリホス(Omar Efrain Torrijos Herrera、1929‐81。パナマ)
下記については別掲ラ米の革命参照
(*2)ソモサ「タチョ」(Anastasio Somoza Garcia、1896-56。ニカラグア)
(*6)バティスタ(Fulgencio Batista、1901-1973。キューバ)
(*12) ベラスコ(Juan Velasco Alvarado、1910-77。ペルー)
(*14) ピノチェト(Augusto Pinochet、1915-2006。チリ)
(*15) アジェンデ(Salvador
Allende、1908-73。チリ。民選を経た社会主義政権)
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