南部南米共同体(メルコスル) |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
前述LAFTAの創設条約に調印した最初の7ヵ国は、メキシコを除くと、ペルー、チリを含みボリビアを除く南部南米6ヵ国である。調印地ウルグアイの首都を採って、「モンテビデオ条約」とも呼ばれる。だが、この枠組みでの地域経済統合の動きは、ウルグアイを含む南米南部では遅れた。アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイのラプラタ諸国には、もともと統合への意欲は薄く、ブラジルと共に南米南部共同市場(メルコスル)形成に動き出すのは、同条約調印から31年、アンデス条約締結から22年余り経てのことだ。 (1)メルコスル諸国の生い立ち 旧リオデラプラタ副王領は、1810年5月のブエノスアイレス自治政府発足後、行政単位としての纏まりを経ぬまま4ヵ国に分散した。各国の独立の経緯に共通性も無い。独立革命で中米連邦として纏まった後に解体した中米との違いであり、以後再統合への動きは無い。 表1
パラグアイは自治政府不参加を決め、その後独立国家に向った。一方でサンマルティンは、ペルー副王からの「アルトペルー(後のボリビア)」奪回作戦を進めたが、前項の通り、ボリビアという独立国になった。ポルトガル(ブラジル)に併合された「バンダオリエンタル(後のウルグアイ)」は、「ブラジル・アルゼンチン戦争」(別掲「ラ米の軍部と戦争」の独立黎明期の戦争参照)を経て、戦争当事国の間の緩衝国家としてウルグアイとなる。リオデラプラタ諸州連合で残ったのはアルゼンチンだけとなった。 ウォール街発の世界恐慌が襲った1930年9月、アルゼンチンで軍事クーデター、同11月、ブラジルで、いわゆる「ヴァルガス(1883-1954。(別掲「ラ米のポピュリスト」のヴァルガスとカルデナス参照)革命」が起きた。両国で共通するのは30年代からの軍部の台頭だ。前者では前面に現れ、後者では隠然たる影響力が行使された。後者は、一時的な中断はあるが54年10月までのヴァルガス時代(別掲「ラ米のポピュリスト」のヴァルガスとカルデナス参照)を招いた。前者は大分後になるが、一将校だったペロン(1895-1974。別掲「ラ米のポピュリスト」のペロンとベタンクール参照)が、46年6月から55年9月まで政権を担う。 (2)動き出した南米南部経済統合 パラグアイでは、1954年5月から35年にも及ぶストロエスネル(1912-2006)将軍の政権時代へと進んだ。LAFTA創設条約締結からほどなくして、ブラジル、アルゼンチンは長期軍政に入った。アンデス諸国同様、LAFTA以後の統合の動きを下表に俯瞰する。 表2
LAFTAは前項に見たように1980年にALADIとなったが、この期に及んでもなお、南米南部諸国の経済統合への動きは進まなかった。ブラジル、アルゼンチン両軍政は経済政策面ではチリのピノチェト軍政に近い市場主義を基本としていたこともある。両国は民政移管時も、ハイパーインフレと巨額対外債務に苦しみ、ラ米の他地域同様、80年代の「失われた10年」の只中にあった。その中で85年、南米南部経済統合を志向する宣言が出された。 (3)メルコスル実体形成 メルコスルが発足したのは、米国が主導する米州自由貿易地域(FTAA)創設のための提案を行った直後、1995年1月のことだ。アルゼンチンが事実上国内通貨の対米㌦等価となる兌換法(カバロプラン。91年)を、ブラジルが米㌦ペッグ制とするレアルプラン(94年)を採用し、インフレを克服、経済も落ち着いていた。以後今日までの動きを下表に示す。 表3
1998年、前年に東南アジアで始まった通貨危機がロシア経由でブラジルにも伝播した。同国はここで上記レアルプランを放棄し変動相場制に戻った。するとカバロプランに固執していたアルゼンチンの競争力が急落し経済危機に突入、メルコスル域内の景気も悪化した。2002年のカバロプラン放棄を挟み、03年まではこの状態が続いた。この間、メルコスル原加盟・準加盟(1996年、チリ、ボリビア)6ヵ国の国民が自由に居住地(就業地)を選択できる枠組みが決められた。ただ実態面では域内旅行が旅券携行で90日間までのビザ無し、という他には、様々な規制が課せられている。 2003年、各国1名ずつの、事務総局(1994年創設)を前身とする代表者常設委員会が、翌年4月、メルコスル仲裁裁判所が設置され、12月にはメルコスル議会(第一回開会は05年)が創設されたことで、機構面はほぼ完成、2009年に創設が合意された南米銀行は、既に活動しているSICAのBCIEやCANのFLARと異なり、現在構想段階 ベネズエラが脱退したCAN諸国も、経済補完協定や個別準加盟によりメルコスルと一体感を強めてきた。ボリビアは2012年12月に加盟が認められ手続中である。コロンビアはFTAにより、モノの流れは加盟国同様の地位を確保している。 (4)メルコスルの現状 メルコスルとは名前の通り共同市場を指す経済統合体だ。だが形態はCAN同様、政治・社会面の統合と変わらず、統合体としてはCAN以上に組織的、と言える。
2012年3月現在の、ベネズエラを除くメルコスル諸国の状況は下表の通りで、二大国(ブラジル、アルゼンチン)はメルコスルの組織機関を常設しない。 表4
|
ラ米の政権地図 | ラ米略史 | コンキスタドル(征服者)たち | ラ米の人種的多様性 | ラ米の独立革命 |
カウディーリョたち | ラ米のポピュリスト | ラ米の革命 | ラ米の戦争と軍部 | 軍政時代とゲリラ戦争 |
ラ米と米国 | ラ米の地域統合 |