南部南米共同体(メルコスル)

前述LAFTAの創設条約に調印した最初の7ヵ国は、メキシコを除くと、ペルー、チリを含みボリビアを除く南部南米6ヵ国である。調印地ウルグアイの首都を採って、「モンテビデオ条約」とも呼ばれる。だが、この枠組みでの地域経済統合の動きは、ウルグアイを含む南米南部では遅れた。アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイのラプラタ諸国には、もともと統合への意欲は薄く、ブラジルと共に南米南部共同市場メルコスル)形成に動き出すのは、同条約調印から31年、アンデス条約締結から22年余り経てのことだ。

(1)メルコスル諸国の生い立ち

リオデラプラタ副王領は、18105月のブエノスアイレス自治政府発足後、行政単位としての纏まりを経ぬまま4ヵ国に分散した。各国の独立の経緯に共通性も無い。独立革命で中米連邦として纏まった後に解体した中米との違いであり、以後再統合への動きは無い。

1

国名

独立年

独立の経緯

パラグアイ

18115

パラグアイとして単独での独立宣言

アルゼンチン

18167

リオデラプラタ諸州連合として独立宣言

ボリビア

18258

1813年までにペルー副王軍の支配下に入り、解放後はボリビアとして建国

ウルグアイ

18288

本来上記諸州連合の一地方だったが、上記独立宣言後ポルトガル(ブラジル)併合を経て、ウルグアイとして建国

パラグアイは自治政府不参加を決め、その後独立国家に向った。一方でサンマルティンは、ペルー副王からの「アルトペルー(後のボリビア)」奪回作戦を進めたが、前項の通り、ボリビアという独立国になった。ポルトガル(ブラジル)に併合された「バンダオリエンタル(後のウルグアイ)」は、「ブラジル・アルゼンチン戦争」(別掲「ラ米の軍部と戦争」独立黎明期の戦争参照)を経て、戦争当事国の間の緩衝国家としてウルグアイとなる。リオデラプラタ諸州連合で残ったのはアルゼンチンだけとなった。
 パラグアイはカウディーリョ支配が全土に及び強兵国家へと進んだ。アルゼンチンとウルグアイではカウディーリョ勢力間の抗争が続き、前者の国家統合は1862年までかかり、後者も国情不安で、1864年末から5年にも及ぶ「パラグアイ戦争」(同ラ米確立期の戦争参照)を招く。この結果、両国はブラジルと共に戦勝国となる。ヨーロッパ移民の積極的受け入れを始め、ラ米では珍しい白人国家としての成長を遂げ、二十世紀始めには世界の富裕国の仲間入りを果たす。ブラジルの移民受入れ本格化は、1889年にそれまでの帝政から共和制に移行した後のことだ。パラグアイは、領土割譲を伴う破滅的状況への経緯を辿る。 

ウォール街発の世界恐慌が襲った19309月、アルゼンチンで軍事クーデター、同11月、ブラジルで、いわゆる「ヴァルガス1883-1954。(別掲「ラ米のポピュリスト」ヴァルガスとカルデナス参照)革命」が起きた。両国で共通するのは30年代からの軍部の台頭だ。前者では前面に現れ、後者では隠然たる影響力が行使された。後者は、一時的な中断はあるが5410月までのヴァルガス時代(別掲「ラ米のポピュリスト」ヴァルガスとカルデナス参照)を招いた。前者は大分後になるが、一将校だったペロン1895-1974。別掲「ラ米のポピュリスト」ペロンとベタンクール参照)が、466月から559月まで政権を担う。
 一方で、32年から3年間のボリビアとの「チャコ戦争」(同二十世紀の国家間戦争参照)を実質的に制したパラグアイでは、以後、概ね軍人が最高指導者に座るようになる。

(2)動き出した南米南部経済統合

パラグアイでは、19545月から35年にも及ぶストロエスネル1912-2006)将軍の政権時代へと進んだ。LAFTA創設条約締結からほどなくして、ブラジル、アルゼンチンは長期軍政に入った。アンデス諸国同様、LAFTA以後の統合の動きを下表に俯瞰する。 

2

地域統合への動き

1960

2

「モンテビデオ条約」締結。
ラテンアメリカ自由貿易連合LAFTA)創設

1980

8

1980年モンテビデオ条約」締結。
ラテンアメリカ統合連合
ALADI)創設

1985

11

ブラジル・アルゼンチン両大統領が、両国が現実的且つ漸次的な統合に向う「イグアス宣言」

1991

3

南部南米共同市場Mercado Común del Sur MERCOSURメルコスル)創設のための「アスンシオン条約」締結

LAFTAは前項に見たように1980年にALADIとなったが、この期に及んでもなお、南米南部諸国の経済統合への動きは進まなかった。ブラジル、アルゼンチン両軍政は経済政策面ではチリのピノチェト軍政に近い市場主義を基本としていたこともある。両国は民政移管時も、ハイパーインフレと巨額対外債務に苦しみ、ラ米の他地域同様、80年代の「失われた10年」の只中にあった。その中で85年、南米南部経済統合を志向する宣言が出された。
 これがALADI枠組みにおける経済統合に向かうのは、ウルグアイとパラグアイも参加した913月のメルコスル創設に向けた首脳宣言による。主宰したパラグアイは、892月、ストロエスネル軍政がクーデターにより崩壊していた。 

(3)メルコスル実体形成  

メルコスルが発足したのは、米国が主導する米州自由貿易地域(FTAA)創設のための提案を行った直後、19951月のことだ。アルゼンチンが事実上国内通貨の対米㌦等価となる兌換法(カバロプラン。91年)を、ブラジルが米㌦ペッグ制とするレアルプラン(94年)を採用し、インフレを克服、経済も落ち着いていた。以後今日までの動きを下表に示す。 

3

メルコスルの動き

1995

1

メルコスル発足

2002

2

メルコスル仲裁裁判所創設(設置は044月)

12

メルコスル原加盟国、チリ、ボリビア6ヵ国国民居住就業地協定

2003

11

代表者常設委員会(CRPM創設

2004

12

メルコスル議会創設

2009

9

南米銀行(Banco del Sur創設協定調印

2012

7

ベネズエラ正式加盟

12

首脳会議でボリビア加盟を承認

1998年、前年に東南アジアで始まった通貨危機がロシア経由でブラジルにも伝播した。同国はここで上記レアルプランを放棄し変動相場制に戻った。するとカバロプランに固執していたアルゼンチンの競争力が急落し経済危機に突入、メルコスル域内の景気も悪化した。2002年のカバロプラン放棄を挟み、03年まではこの状態が続いた。この間、メルコスル原加盟・準加盟(1996年、チリ、ボリビア)6ヵ国の国民が自由に居住地(就業地)を選択できる枠組みが決められた。ただ実態面では域内旅行が旅券携行で90日間までのビザ無し、という他には、様々な規制が課せられている。

2003年、各国1名ずつの、事務総局(1994年創設)を前身とする代表者常設委員会が、翌年4月、メルコスル仲裁裁判所が設置され、12月にはメルコスル議会(第一回開会は05年)が創設されたことで、機構面はほぼ完成、2009年に創設が合意された南米銀行は、既に活動しているSICABCIECANFLARと異なり、現在構想段階
 200511月に開催された第四回米州首脳会議において、メルコスルがベネズエラと共に反対することでFTAAを挫折させた。そのベネズエラは翌067月、メルコスル加盟議定書に調印、077月からの首脳会議に参加、またメルコスル議会にも議員(他加盟国の半数)を出して来たが、パラグアイ議会が議定書批准を遅らせ、結局、20126月、同国の大統領罷免手続きが民主主義的でなかった、との理由で資格停止措置に置き、翌月ベネズエラの正式加盟を実現した。

ベネズエラが脱退したCAN諸国も、経済補完協定や個別準加盟によりメルコスルと一体感を強めてきた。ボリビアは201212月に加盟が認められ手続中である。コロンビアはFTAにより、モノの流れは加盟国同様の地位を確保している。

(4)メルコスルの現状

メルコスルとは名前の通り共同市場を指す経済統合体だ。だが形態はCAN同様、政治・社会面の統合と変わらず、統合体としてはCAN以上に組織的、と言える。

  • 共同市場審議会(CMC:最高意思決定機関。外相、貿易相で構成。CANの首脳評議会に相当する。但し半年毎に首脳会議と同時に開催
  • メルコスル議会:議員数は加盟国毎に18名。人口比でないことは、中米議会、アンデス議会同様で、EUとは異なる。
  • メルコスル仲裁裁判所:域内の国際契約に関わる民事、若しくは商業紛争を扱う。
  • 代表者常設委員会(CRPM:常設委員は加盟国より1名ずつ。任期2年の委員長はCMCが選出。この委員長は、各国の著名政治家の中からメルコスル首脳会合で選ばれ、域外に対してはメルコスルを代表する。EUで言えば欧州委員長に相当する。
  • 南米銀行IMFに似た機能を持たせるもので、本店をカラカスに、支店をブエノスアイレス及びラパスに置き、当初資本200億㌦でスタート予定。加盟手続き中のボリビア、加盟意思を表明しているエクアドルを含む7ヵ国が参加。

20123月現在の、ベネズエラを除くメルコスル諸国の状況は下表の通りで、二大国(ブラジル、アルゼンチン)はメルコスルの組織機関を常設しない。 

4

国名

備考

ブラジル

ルセフ大統領はブラジル史上最初の女性大統領で、20031月より8年間政権を担ったルラ前大統領(労働運動のカリスマ的指導者で「労働者党」を創設)の後継を任じる。

アルゼンチン

20075月より「ペロン党」左派フェルナンデス大統領が、03年から政権を担った夫のキルチネル(201010月死去)を引き継いだ。2011年選挙で連続再選され現在二期目

ウルグアイ

本部たる代表者常設委員会(CRPM及びメルコスル議会所在国。20103月就任のムヒカ大統領は、左翼ゲリラのトゥパマロス出身。バスケス前大統領同様、「拡大戦線」を率いる

パラグアイ

仲裁裁判所所在国。20126月の政変による資格停止状態は、カルテス政権発足と共に解除される。ベネズエラ加盟に関わる経緯に反発有り。この国は南米で唯一、大統領の再選そのものを禁止

 

 


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